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「雑記」カテゴリーの記事一覧

2019年3月17日・雑記

ルッツ・カイザーさんと「OTRAG」ロケットのドキュメンタリー映画『FLY ROCKET FLY』

 ドイツ生まれのロケット科学者ルッツ・カイザーさんと、彼の手がけた「OTRAG」ロケットを追ったドキュメンタリー映画『FLY ROCKET FLY』が制作されたそうです。監督はOliver Schwehmさんという方で、ドイツでは2018年9月27日に公開。

 ロケットオタに生まれたからには、誰でも一生のうち一度は夢見る、未だかつてない画期的なロケット。かくいう私もそうだったのですが、そんな人が(深夜にEncyclopedia Astronauticaあたりを漁って)最初に行き着くであろうロケットが「OTRAG」だと思います。

 OTRAGは、西ドイツのロケット科学者ルッツ・カイザー(Lutz Kayser)さんらが1970年代に開発したロケット(また同時に設立した会社の名前)で、超非力で超低コストなロケットを、数十基から100基以上も束ねてひとつのロケットにし、衛星を打ち上げようというもの。規模の経済も働くことで、打ち上げコストを従来の10分の1にしようと考えられていました。毛利元就も裸足で逃げ出しそうです。

 1970年代というと、スペース・シャトルに代表されるように、世界は再使用型ロケットに移行しようとしていた時期ですが、その真逆を行く、それも究極まで突き詰めようとする発想が最高にロックです。さすがクラウトロック発祥の国。

 ところが、ザイール(現在のコンゴ)やリビアといった国で打ち上げ実験を行ったことから、いろんな国から怒られて計画は頓挫。たしかに、地政学的に、また歴史的に、西ドイツからはロケットを打ち上げにくかったとは思いますが……。

 その後カイザーさんはリビアに住み、さらにマーシャル諸島に移住したのち、2008年には米国のインターオービタル・システムズ(Interorbital Systems)に入社。OTRAGとまったく同じコンセプトの「ネプチューン(NEPTUNE)」というロケットの開発を手がけますが、一度も宇宙へ飛ぶ姿を見ることなく、2017年11月19日にこの世を去ります。インターオービタルはいまなおネプチューンの開発を続けていますが、まだ宇宙へ届く日は見えない状況です。

 予告編を見る限り、実際の打ち上げの映像や、晩年のカイザーさんへのインタヴューなどが盛りだくさんで、予告編だけでも見どころ満載。初めて見る映像ばかりで思わず見入ってしまいました。なにこれ滾る!

 残念ながら日本での公開予定はないようですが、ソフト化やネット配信されたらぜひ観てみたいですね。

4月17日追記

 読者の方から、「ルフトハンザドイツ航空の機内映画として提供されており、観ることができました」との情報を提供していただきました。もし近々、ドイツへ行かれる方がいらっしゃいましたら、ご参考までに。


2019年1月24日・雑記

「地球に帰還した宇宙飛行士が重力の存在を忘れているシーン」という動画は「実話をもとにしたフィクション」です

 Twitterで、「地球に帰還した宇宙飛行士が重力の存在を忘れているシーン」という動画が、広く出回っています。

 このツイートへの反応などを見ていると、実際のインタヴュー動画だと信じてしまっている方もいらっしゃるようなので、補足したいと思います。

 もともとこの動画(正確にはこの動画の元となった動画)は、2013年に米国航空宇宙局(NASA)のジョンソン宇宙センターの学生が制作した、広報用のジョーク作品です(元の動画はこちら)。 したがって「宇宙飛行士がインタビューに答える時に重力の存在を忘れてるシーン」ではありません。

 ただ、じつはまったくの嘘というわけではなく、実話に基づいた作品でもあります。

 この動画に出演しているトーマス・マーシュバーン宇宙飛行士は、この動画が制作・公開された2013年当時、Twitterで以下のように発言しています。

フォロワー
「あなたは実際にこのような(重力の存在を忘れて、物を浮かせておいたつもりが落としてしまった)ことをしたのですか?」
マーシュバーン飛行士
「STS-127のミッションを終えたあとに、一度起こりました。また、シャトルが着陸した日に、他の人が同じようなことをしているのを何度か見ましたよ!」

(STS-127というのは、スペース・シャトルのミッションの符号のこと。STS-127は2009年7月15日から31日にかけて行われ、マーシュバーン飛行士はそのひとりとして参加しました。ちなみに帰還時には、それまで国際宇宙ステーションに滞在していた日本人の若田光一宇宙飛行士が搭乗していました)。

 つまり、状況は違えど、これと似たようなことは実際に起きていたというのです。逆にいえばそれがあったからこそ、このような動画が作られたのでしょう。

 また、他の宇宙飛行士のインタヴューや自伝などでも、同じように、宇宙からの帰還直後、重力の存在を忘れて物を落としてしまったと語られることがあり、「宇宙飛行士あるある」のようです。

 ちなみに、この元の動画の説明文には、「”This is JSC” is a satirical series created by students at NASA Johnson Space Center.(”This is JSC”はNASAジョンソン宇宙センターの学生たちによって作られた風刺作品のシリーズです)」と明記されており、少なくとも元の動画さえ見れば、すぐにこれがジョークであり、実際のインタヴュー動画ではないということがわかります。

 また、元の動画自体も、冗談だとわかりやすい作りになっています。まずインタヴュアーが「宇宙飛行士が宇宙ステーションから帰還したあとは、地球上での生活に慣れるのにしばらく時間がかかるものなんですよね」と尋ねているのに対し、マーシュバーン飛行士は「ソユーズの打ち上げは素晴らしいです。シャトルとは違って……」と、なぜか唐突にロケットの話を始め、そしてシャトルに見立てたコップを落としたり、ソユーズに見立てたペンを落としたりします。

 つまり、まず最初に、「宇宙と地球の環境の違いが主題ですよ」と明示されており、なおかつ唐突にロケットの話題が始まることで、「ここからボケますよ、笑いどころですよ」というのがはっきりしているわけです(シットコムのワン・シーンのような感じですね)。

 ただ、最初に挙げたツイートや、そこに埋め込まれた動画では、説明文が省かれているばかりか、動画も最初のインタヴュアーの問いかけの部分がなぜかカットされてしまっており、本当にマーシュバーン飛行士がインタヴュー時にうっかりしてしまったかのように見えてしまいます。

 もちろん、説明文をそのまま書くとTwitterの文字数制限にひっかかるとか、動画もアップできるサイズや時間に制限があったとか、なにか事情があったのかもしれませんが、結果的に多くの人に誤解を広めることになったのは、いただけないと思います。

 また、説明文では、「元宇宙飛行士」となっていますが、マーシュバーン飛行士は現在も宇宙飛行士の資格を持っており、この点も不正確です。


2018年6月25日・雑記

“Dark Side of the Moon”と”Far Side of the Moon”


NASAの月探査機「LRO」が撮影した、月の裏側と地球 Image Credit: NASA

 ダーク・サイド(dark side)と聞いて、なにを思い浮かべるだろうか。直訳した「暗い面」、スター・ウォーズに出てくる「暗黒面」など、いずれにしても暗黒や影、負といった印象が真っ先に来る。

 2018年5月21日、中国は月の裏側に位置する軌道に向け、通信衛星を打ち上げた。「鵲橋」(じゃくきょう、かささぎばし)と名付けられたこの衛星は、今年末に月の裏側に着陸する予定の探査機「嫦娥四号」の、地球との中継を担うことを目的としている1

 月は自転周期と公転周期がほぼ同じ、つまり月が1回自転する間に、地球のまわりを1周する。そのため、地球にはつねに同じ面を向けている。この地球に向いている面を「表」、逆にその反対側にあたる、永遠に地球のほうを向くことのない面を「裏」と呼んでいる。この月の裏側に探査機を着陸させると、月自身がつねに壁となり、地球と通信ができない。そこで、地球・月系のラグランジュ第2点をまわるハロー軌道――月の裏側と地球を同時に見渡せる場所に、通信衛星が打ち上げられたのである。

 この鵲橋の打ち上げは、中国による月探査の新たな一歩として、欧米のメディアでも大きく取り上げられた。しかし、見出しなどに、「月の裏側」を指して「Dark Side of the Moon」という言葉を用いるところがいくつかあった。

 たとえばロイター通信は『China launches satellite to explore dark side of moon: Xinhua2』、CNNは『China to explore ‘dark side’ of the moon3』、インディペンデントは『China takes major step towards first ever landing on the dark side of the Moon4』といった具合である。

 もちろんdark sideとはいっても、月の裏側がずっと暗いというわけではない。もちろん暗いときもあるが、それはたんに一時的に太陽光が当たらず影になっているからで、月の裏側にも太陽の光は当たるし、満ち欠けもする。表と裏では、地質学的には違いがあるそうだが、光の当たり方は同じである。

 月の裏側をDark Side of the Moonと呼ぶのはいまに始まったことではなく、辞書にもしっかり、月の裏側を意味する言葉として載っている5。はっきりとした由来は不明だが、BBCによると、「月の裏側は(地球から決して見えず)謎に包まれていることから、darkと呼ばれるようになった」6のだという。

 とはいえ、dark sideといえば暗い面を意味するのでは、紛らわしいのでは、というのは誰もが思うところだろう。では、英語圏ではどうかと思い、Twitterなどを検索してみると、「Dark Side of the Moon」というタイトルで記事を出したメディアのツイートに「月の裏側はつねに暗いわけではないぞ」というツッコミが入っている場面がいくつかあった7

 実際にどれだけの人が「月には永遠に暗闇の面がある」と信じているかというデータは見つけられなかったが、2011年にはNASAがこの話題についてわざわざ解説する記事を出している8ことからも、米国ではそれなりに「あるある」な誤解なのかもしれない。「アポロは月に行っていない」と信じる人が少なからず存在することを考えれば、むべなるかな、というところである。

 最初に月の裏側をDark Side of the Moonと呼んだ人は、おそらくFar sideよりも詩的で、味のある、いい表現だと思ったのだろう(その気持ちには大いに共感する)。

 しかし、月の裏側にも太陽光は当たる、つまり暗いという意味のdark sideではない、という知識が定着するよりも先に、ピンク・フロイドのアルバムにはじまり、映画『トランスフォーマー』のタイトルなどに使われるなどして言葉がひとり歩きし始めたことで、誤解が生まれていったのだろう。まさに、月の裏側がdark(もちろん謎に包まれたという意味)であることが生み出したものといえる。

 また、月が満ち欠けし、大きく影に覆われたり、まったく見えなったりしてダイナミックに変化することも、そうした誤解が広まる手助けをしたのかもしれない。さらに、月の極域のクレーターには永久影(eternal darkness, perpetual darkness)と呼ばれる領域(sideではない)があることから、知識が混ざってしまったという理由もあろう。

 ちなみに「月の裏側」を指す英語には「Far side of the Moon」という言葉もある。直訳すると「月の向こう側」という意味で、月の裏側を指す言葉としてはこちらのほうが正確である。鵲橋の報道では、科学系メディアをはじめ、BBC9やテレグラフ10などもこちらを使っている。ガーディアンは、当初はdark sideという見出しだったが、指摘を受けてfar sideに書き換えている11

 もちろん、ニュース記事などにおいては、Far sideと書くのが適切なのは疑いようもない。今回のことを受けて、次からはFar sideと書くメディアも増えるかもしれない。

 とはいえ、dark sideという響きにもちょっと惹かれるものがある。BBCの記事12ような解説を入れつつ使うのであれば、そんなに悪いことではないように思う。

 いずれ、月の裏側の探査が進んで謎が消え、そして人類が住むようになって月の裏側は永遠に暗闇ではないことが常識になれば、dark Side of the Moonという言葉には、過去の人類が月の裏側に抱いていた想いを偲ぶ意味しか残らなくなるのだから。


2018年4月14日・雑記

スペースXのロケット回収船の名前について


スペースXのロケット回収船のひとつ「もちろんいまもきみを愛している」号(Of Course I Still Love You) Image Credit: SpaceX

 スペースXがロケットの第1段機体の回収のために運用しているドローン船「ASDS」(Autonomous spaceport drone ship)の日本語名について、たびたび由来などの問い合わせをいただくので、この機会に一度、まとめておきたい。

 スペースXが現在運用している2隻のASDSのうち、西海岸のカリフォルニア州に配備している船には英語で「Just Read the Instructions」(JRtI)、東海岸のフロリダ州に配備している船には「Of Course I Still Love You」(OCISLY)という名前が付けられている。

 これらは共に、英国の作家イアン・M・バンクスさんが書いたSF小説『The Player of Games』に登場する、宇宙船の名前から取られている1。同社のイーロン・マスクさんはSF好きとして知られ、またバンクスさんが2013年に亡くなったことに敬意を表して名付けたという2

 この『The Player of Games』は、日本でも浅倉久志さんによる翻訳で、『ゲーム・プレイヤー』という邦題で発売されている3。そしてこの中で、JRtIは「指示をよく読め」号、OCISLYは「もちろんいまもきみを愛している」号と訳されている。私がこの船について取り上げる際は、この訳にしたがっている。

 原文も邦訳も、船にしては変な名前だが、『ゲーム・プレイヤー』やその一連のシリーズ(「ザ・カルチャー」シリーズと呼ばれる)では、こうした変な名前の宇宙船が出てくることがお約束になっており、物語の中で登場人物が「戦艦にしては変な名前だ」ということを指摘する場面もある。

 ちなみに現在、スペースXは3隻目のASDSを建造しており、マスクさんによると、名前は「A Shortfall of Gravitas」になるという4。完全に同じ名前の船は「ザ・カルチャー」シリーズには登場しないが、「ナントカ Gravitas」という名前は、これまた同シリーズのお約束になっているため、それにちなんだオリジナルの名前なのかもしれない5

 残念ながら、「ザ・カルチャー」シリーズは『ゲーム・プレイヤー』しか邦訳されておらず、また「ナントカ Gravitas」という船は同書には登場しないことから、浅倉久志さんによる翻訳で統一することができない。そのためどういう日本語訳をあてるかが難しいところである。「A Shortfall of Gravitas」は直訳すると「厳粛さの不足」というような意味になるので、ちょっと他の名前と合わせて「厳粛さが足らない」とでもすべきだろうか。

 ちなみに「A Shortfall of Gravitas」は完成後、フロリダに配備される予定で、ファルコン・ヘヴィの2機のブースターを、「もちろんいまもきみを愛している」号と共に洋上で回収したり、ファルコン9の第1段回収を交代で担当し、打ち上げ頻度を高めたりできるようになるという6


2017年5月5日・雑記

建設が進む「深宇宙探査用地上局」(GREAT)


建設が進む「深宇宙探査用地上局」(GREAT)(立ち入り可能場所より撮影)

 先日、長野県佐久市で建設が進む、JAXAの「深宇宙探査用地上局」(GREAT)に行ってきました。

 GREATは、現在「あかつき」や「はやぶさ2」など日本の探査機との通信に使われている、臼田宇宙空間観測所の64mアンテナの後継局として建設が進められているアンテナです。アンテナの直径は54mとやや小さくなりますが、技術の進歩により受信能力などはそのままで、さらに新たにKa帯を使った大容量の通信にも対応できるようになります。

 GREATの建設場所は、現在の臼田宇宙空間観測所から北西に約1.5km離れたところに位置します。ただ、もちろんそのまま1.5km走れば着くというわけではなく、一度山を下り、別の道でまた登る必要があるため(両者をつなぐ道が途中にありますが、舗装されていない砂利道です)、両方を見て回ろうとすると少し苦労します。

 とはいえ、細く荒れた山道の先にある現在の64mアンテナとは違い、GREATは「蓼科スカイライン」と名付けられた綺麗に整備された広い道沿いにあるため、その点ではやや楽かもしれません。ちなみに、蓼科スカイラインのおかげで建設しやすいことが、新アンテナの建設場所としてここが選ばれた理由のひとつでもあります。


円形になっている部分にGREATが建つと思われる(立ち入り可能場所より撮影)

 Google Earth/Mapsでこの建設地を見るとまだ木に覆われていますが、現在ではすでに造成が行われており、仮設事務所や衛星アンテナなども設置されています。

 周囲にあるフェンスのそばまで近づくことは不可能ではありませんが、その手前に立入禁止の立て札がありますので、入るのはそこまでにしておくべきでしょう(ちなみに掲載している写真は、その立入禁止の札が立っている場所から撮影しました)。また、周囲に駐車場はなく、さらに蓼科スカイラインは車が結構なスピードで走っていますので、一時駐車する場所や時間にも注意が必要です。

 GREATの運用開始は2019年度に予定されており、これから徐々に、巨大アンテナができあがっていく様子が見られると思います。みなさんも、臼田の64mアンテナや野辺山宇宙電波観測所を訪れた際などに、ちょっと寄り道して見てみると楽しいかもしれません。


臼田宇宙空間観測所にある64mアンテナ。GREATはこれより直径が10m小さくなる

参考


2017年1月10日・雑記

「イプシロン」基本形態で第3段のラムライン制御をやらない理由

イプシロン2号機の打ち上げ(撮影: 渡部韻)

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は2016年12月20日、「イプシロン」ロケット2号機の打ち上げに成功した。この打ち上げは、イプシロンとしては2機目ではあるものの、3年前に打ち上げられた1号機(試験機)とは違い、ロケット機体に大きく改良を加え、打ち上げ能力の向上などを図った「強化型イプシロン」の初めての打ち上げとなった1

 打ち上げや強化型での改良点などについては、ハーバー・ビジネス・オンラインさんで書いた『「イプシロン」ロケット2号機、打ち上げ成功!  「ガンプラ」を目指す日本の固体ロケット』をご覧いただければと思う。今回は、打ち上げ前の2016年11月24日に行われた記者説明会で、イプシロンのプロマネを務める森田泰弘教授に伺った話について書いてみたい。

 周知のとおり、イプシロンには「基本形態」と「オプション形態」という、大きく2つのタイプがある。基本形態は固体モーターのみの3段式ロケット。オプション形態は基本形態の固体3段式の上に、「ポスト・ブースト・ステージ」(PBS)と呼ばれる、小型の液体ロケット段を追加する。前者は今回「あらせ」を打ち上げた形態で、後者は「ひさき」を打ち上げた1号機で使われ、また2017年度中の打ち上げを予定している3号機でも使われる。

 固体ロケットは一度点火すると推進薬がなくなるまで燃焼を止めることはできず、またスロットリング(推力の調整)もできず、さらに性能に個体差が出てしまうといった理由で、軌道投入精度がどうしても悪くなるという宿命を背負っている。そこで正確な軌道に投入しなければならない衛星の打ち上げではオプション形態を使い、臨機応変な制御が可能な液体ロケットのPBSによって、第3段の飛行までに生じた軌道の誤差を修正し、正確な軌道に衛星を送り込めるようにしている。

 さらにこのPBSには、「ラムライン制御系」という姿勢制御機構も搭載されている23。イプシロンの第3段はスピン安定、つまり常に回転しながら飛ぶので、普通のスラスターなどは使えない。そこで、機体が1回スピンするごとにスラスターを短くプシュっと噴射することで、回転しながらでも姿勢制御ができる装置が搭載されており、これをラムライン制御系と呼ぶ。第3段の飛行中にこのラムライン制御を使うことで、あらかじめ軌道の誤差を少なくし、PBSでの修正量を少なくする、つまりPBSの推進剤を節約することができる。

 ――ではもし、PBSは積まず、基本形態にラムライン制御系のみを搭載すれば、軌道投入精度はオプション形態ほど良くないものの基本形態よりは良く、一方で打ち上げ能力は、基本形態より落ちるもののオプション形態よりは大きな、ちょうど中間の性能をもった形態ができるのではないだろうか。

 こんな質問を、昨年11月24日に行われた記者説明会の後、森田教授に伺った。その答えは「可能だが、意味がない」というものだった。

 まず、イプシロンは固体のみの基本形態でも、衛星側の要求どおりの軌道に投入することができる。もちろん多少の誤差は生じるものの、それほど大きく外すことはまずない。また、基本的に基本形態で打ち上げられるのは、多少軌道がズレてもミッションに支障のない衛星だったり、あるいはあらかじめ衛星側のスラスターで軌道修正することを前提にしていたりするので、多少の誤差でも問題にならないのだという。

 もちろん、ミッションによっては多少の誤差さえも許されないものもある。たとえば3号機で打ち上げが予定されている「ASNARO-2」のような地球観測衛星は、太陽同期軌道という、高度や軌道傾斜角などの条件がきっちり定められている軌道に投入しなければならない。この場合、基本形態+ラムライン制御系だけの修正では不十分なので、PBSを使うことがが必須となる。

 もっとも、技術的にはラムライン制御系のみ搭載する形態を造ることは可能なので、衛星側から要求があれば対応はできるという。ただ「そういう要求はまずないだろう」とのこと。つまり、基本形態を望むような衛星は多少の誤差を承知で乗るので、ラムライン制御系を搭載することによる多少のコスト・アップと性能低下を嫌うし、オプション形態を望むような衛星は、そもそもラムライン制御だけの修正では間に合わない、したがって、その中間性能のロケットは誰も望まないのだという。

 そんな話を一通り伺った後、森田教授は最後に、「たとえるなら、基本形態はストライク・ゾーンのど真ん中に球を投げ込むことができますが、オプション形態は内角高めとか外角低めとかに狙って投げ込めます」と語った。

 注意してもらいたいのは、「ストライク・ゾーンのど真ん中に」というところ。「ストライク・ゾーン内に」ではなく、そのど真ん中に入れられるというのである。

 その言葉が、わかりやすさを優先した、やや不正確な”いわゆる例え話”ではなく、正真正銘言葉どおりの意味であることは、イプシロン2号機の打ち上げで証明されることになった。

「あらせ」は、計画では近地点高度219km(誤差±25km)、遠地点高度3万3200km(誤差±2000km)、軌道傾斜角31.4度の軌道に投入されることになっていた(誤差±2000kmというとすごく大きいように感じるが、今回のミッションではそれほど大きな数字というわけではない)。

 それに対し、実際の打ち上げで投入された軌道は、近地点の誤差は-3.5km、遠地点の誤差は-1279km、傾斜角は誤差なしというものだった4。あらかじめ許容された範囲より、さらに誤差の小さな軌道、すなわち”ストライク・ゾーンのど真ん中”に、「あらせ」は投げ込まれたのである。